バジル、アンチョビ、フォカッチャ、そして断崖絶壁で育つワイン。
イタリアン・リヴィエラが描く、まるで水彩画のような料理の世界。
リグーリアという街は、地図の上ではどこか消えてしまいそうなほど小さく描かれています。
アルプス山脈と広大な海に挟まれた、三日月のような海岸線。
海と山が隣り合うこの場所では、オリーブ畑の中に立っていても波の音が聞こえます。
そして、海面からそり立つ壁のような場所に築かれた、千年の歳月をかけて人の手で耕された庭園。
そんな土地で、イタリアで最も洗練された料理が生まれました。
爽やかな緑と食欲をそそる香り、そして奥ゆかしくも気品にあふれたその味わい。
シチリアの夏の料理が「バロック様式」であり、ナポリの料理が「オペラ舞台」なら、リグーリアの料理は「水彩画」です。
その水彩画を彩る絵の具は、バジル、オリーブオイル、松の実、レモン、若くフレッシュなチーズ、そして夜明けに小さな漁船が運んできた海の恵みたち。
お皿の中のどの食材も、その存在を強く主張することはありません。
しかし、なぜか食べる者の心を惹きつけてやまないのです。
ここはチンクエ・テッレやポルトフィーノ、中世の路地だけではなく、「何ひとつ無駄にせず、ハーブの香りに語らせる」という、リグーリア流の倹約精神から生まれた哲学が根付く街です。
バジル:地域全体を包み込む香水

リグーリアのすべてはバジルから始まります。
使われるのは、ジェノヴァのすぐ西の丘陵地帯で育つ「バジリコ・ジェノヴェーゼ DOP」。
葉が若く小さいうちに摘み取ることで、より柔らかな味わいを楽しむことができます。
また、リグーリアの人々の「潮風こそがバジルを美味しくする」というこだわりにより、プラー地区にあるビニールハウスは、海に面した傾斜に位置しています。
そして、世界中で愛される「ペスト・アッラ・ジェノヴェーゼ(ジェノバ風ペースト)」がこのバジルから作られるのです。
伝統的なレシピに沿って作るならば、使う材料は7つだけ。
バジル、リグーリア産オリーブオイル、松の実、ニンニク、粗塩、パルミジャーノ・レッジャーノ、そしてフィオーレ・サルド(ペコリーノ・チーズ)です。
これらを大理石の鉢(モルターロ)と木製のすりこぎで、「ペスト」という言葉の通り、すり潰します。
熱で香りが損なわれるのを防ぐため、ブレンダーは使いません。
ジェノヴァでは2年に一度、ジェノヴェーゼの世界選手権が開かれますが、そこでも鉢とすりこぎの使用が義務付けられています。

そうしてできたペストに合わせるのが、手で手作業でひねって作る小さなショートパスタ「トロフィエ」、あるいは「トレネッテ」です。
そして本場ジェノヴァのパスタには、注文した旅行客が予想もしなかった具材が入っています。
それは、パスタと一緒に茹でたジャガイモとインゲン。
3つの異なる食感が、ペストによってまとめ上げられるのです。
バジルが旬を迎える夏には、この料理は街の歴史的シンボルのような大きな存在感を放ちます。
海の銀貨

深く続くリグーリアの海の偉大で小さな主役、「アンチョビ(カタクチイワシ)」。
チンクエ・テッレのモンテロッソでは何世紀にもわたってアンチョビの塩漬けが作られており、海岸一体における夏のメニューは、まさにアンチョビのレシピ本。
レモンでマリネしたり、軽く衣をつけて揚げたり、具を詰めてオーブンで焼いたり、生のままパンの上にのせてオイルを垂らしたり。
リグーリアの人々は少し微笑みながら、「うちのアンチョビは貴族だからね。地中海の他のどのアンチョビよりも甘くて繊細なんだ」と語ってくれます。
アンチョビを味わった後も、夏の湾岸がもたらす美食のお祭りは続きます。
ラ・スペツィア湾で養殖され、リグーリア風にモルタデッラやハーブ、チーズを詰めたムール貝。
港の屋台で紙に包んで味わう「フリット・ミスト(魚介のフリッター)」。
そして、この地域の絶品料理「カッポン・マーグロ」です。
カンパンの上に魚介や野菜をピラミッド状に積み上げ、グリーンのソースをかけたこの料理。
断食日の「質素な料理」として考案されたとは思えないほど豪華で、今では夏の祝宴のテーブルを飾る主役となっています。
千年の歴史を持つ港街のストリートフード

かつて海洋共和国として栄えたジェノヴァ。
そんなジェノヴァにあるヨーロッパ最大級の中世の旧市街には、今も数世紀前と同じように隠れた名店であるパン屋が並んでいます。
その中でひときわ輝きを放つのが、厚さ1.5センチほどの「フォカッチャ・ジェノヴェーゼ」。
指先で窪みをつけ、オリーブオイルと塩水をたっぷりと含ませて焼き上げることで、底はサクッと香ばしく、中は信じられないほどふんわりと仕上がります。
これをカプチーノに浸して味わうのが、ジェノヴァ流の朝食です。
他の土地から来たイタリア人もこの食べ方に驚きつつ、試せば誰もが虜になるとか。
ほかにも、夏のビーチでは午前11時にひと切れのフォカッチャを楽しむのが定番。
ジェノバの人々にとって、これは単なるおやつの時間ではなく、その日の生活リズムを整える大切な時間です。

海岸を下って行った先にあるレッコの町にも、忘れては行けないフォカッチャがあります。
それが「フォカッチャ・ディ・レッコ」。
イーストを加えず、羊皮紙のように薄く伸ばして焼いた2枚の生地で、クレシェンツァ・チーズを包んで食べるフォカッチャです。
IGP(保護指定地域表示)認定を受けたローカルフードで、海を見渡すテーブルで、キリッと冷えた白ワインを手に、熱々のうちにすぐ味わうのが最高の食べ方です。
そして揚げ物屋の定番は「ファリナータ」。
ひよこ豆の粉で作った生地を大きな銅鍋に流し、薪窯で端がパリッとするまで焼き上げた薄いパンケーキのような一品です。
ニースの「ソッカ」やトスカーナの「チェチーナ」の親戚にあたりますが、ジェノヴァ人に言わせれば「うちのファリナータこそが元祖だ」とのこと。
海の上に覆いかぶさる家庭菜園

何ヶ月もの間、塩漬けの保存食ばかりを食べて戻ってきた船乗りたちは、陸に上がると何よりも一番に「新鮮な野菜」を求めました。
そんな船乗りたちの願いに答えた料理が、夏の暑い季節のために作られた野菜を使ったメニューです。
そのため、リグーリアの料理は時として「帰還の料理(クチーナ・デル・リトルノ)」と呼ばれることがあります。
中でも、リグーリア名物の「トルタ・パスクアリーナ」(野菜とチーズのパイ)や、フダンソウ(ほうれん草に似た野菜)、ズッキーニ、「プレボッジョン(伝統的な野草ミックス)」を詰めたお食事パイは、冷たいままでもおいしいのが魅力。
手軽に持ち運べるため、ビーチや船の上でのランチにぴったりな一品です。
ほかにも、フランスの「ニース風サラダ」に並ぶリグーリア自慢の一皿 「コンディリオーネ」も忘れてはいけません。
トマト、キュウリ、パプリカ、オリーブ、アンチョビをボウルの中に重ね合わせたもので、パンと日陰さえあれば他には何もいらない料理です。

そして、これらすべての料理の美味しさを底から支えているのが、小ぶりで甘みのある「タッジャスカ・オリーブ」。
足元が切れ落ちた断崖絶壁のような急斜面の段々畑で栽培されるため、収穫時にはまるで宙に浮かぶハンモックのようにネットが張り巡らされます。
このオリーブから搾られるオイルは、イタリアで最もまろやかな味わいといわれることも。
トスカーナ産オイルのようなピリッとした胡椒のような刺激は一切なく、アーモンドのような芳しい香りと美しい黄金色が特徴です。
リグーリア料理がドレッシングの味に頼るのではなく、食材そのものの旨味を引き立てるような優しい味わいになる秘密は、まさにこのオイルにあるのです。
断崖絶壁から生まれるワイン

リグーリアのワイン造りは、専門的な意味でも「英雄的(ヒーロー的)」です。
それは「Viticoltura eroica(ビティコルトゥーラ・エロイカ=英雄的な葡萄栽培)」呼ばれる栽培方法で行われるから。
ビティコルトゥーラ・エロイカとは、機械が入らないほどの急斜面ですべて手作業や、崖を這うように登る小さなモノレールを使って行われる栽培方法で、正式な専門用語でもあります。
この段々畑から生まれるのが、爽やかな塩気と華やかさを持ち、リヴィエラ海岸の夏を象徴する白ワイン「ヴェルメンティーノ」。
そして、その兄弟であり、より豊かでハーブの香りを纏う「ピガート」は、名物のジェノバ風ペーストのパスタ(トロフィエ・アル・ペスト)と合わせるために生まれたようなワインです。
世界遺産として有名なチンクエ・テッレでは、古くから太陽で乾燥させた葡萄(パッシート)から作られる、希少な黄金色の甘口ワイン「シャッケトラ」が受け継がれてきました。
夕暮れ時、熟成したチーズやただ目の前の絶景とともに味わう小さなグラス一杯のワインは、この海岸線で味わえる静かで贅沢な時間のひとつです。
赤ワインは数が少ないものの非常に魅力的で、フランス国境近くの「ロッセーゼ・ディ・ドルチェアックア」は、8月に軽く冷やして飲むのにぴったりの、淡い色合いと華やかな香りを持ち合わせています。
リヴィエラの夕暮れ

リグーリアの夏の夕暮れは、とてもシンプルに更けていきます。
まずは海沿いの散歩道での夕暮れの散策(パッセッジャータ)。
ジェノバ名物のフォカッチャやジェラートを片手に歩きます。
そしてテラス席でのディナーへ。
前菜のアンチョビ(カタクチイワシ)から始まり、バジルペーストのパスタ(トロフィエ・アル・ペスト)、名物のタッジャスカ・オリーブやジャガイモと一緒に一匹丸ごと香ばしく焼き上げた魚料理、そしてキリッと冷えた白ワイン「ヴェルメンティーノ」。
暗い水面の上には、まるで「もうひとつの夜空」のように漁船の明かりがぽつぽつと広がっています。
リグーリアには、決して恵まれた広い土地はありませんでした。
だからこそ、限られた素材の「質の高さと濃厚さ」から、最大限の豊かさを引き出すことを学んだのです。
一枚のバジルの葉、一匹の魚、一粒のオリーブ――そのすべてが、最も美味しい状態で差し出されます。
夏、山と海を隔てるこの緑の細いラインの上で味わうその教えは、私たちがイタリアを旅する理由そのもののように感じられるのです。
ITALIAKARAの読者のみなさまへ
何ヶ月も厳しい航海に出ていた船乗りたちが港へ帰りついたとき、何よりも一番に求めたのは、太陽を浴びた「青々とした新鮮な緑」でした。 山と海に挟まれたほんのわずかな土地で、バジルの一枚、オリーブの一粒にまで情熱を注ぎ、素材の旨みを極限まで引き出す――それこそが、リグーリア人が教えてくれる本当の贅沢です。 長い夏休みを終えて日常に戻るこの季節。みなさんも新鮮なハーブの香りと冷えたワインを食卓に迎えて、五感が目覚めるような「帰還」のひとときを楽しんでみてくださいね!
リグーリアの食事と楽しむワイン
● 「ヴェルメンティーノ」(ラモイーノ)柑橘と潮風が重なり合う白に、旬の秋刀魚や魚介のマリネを。
\泡ラバーAYAのおすすめ/まだまだ残暑が残る日には、冷えた「ヴェルメンティーノ」で清涼感をチャージするのが私流。レモンのようなキリッとした酸とほのかな塩気が、白身魚や、脂ののった秋刀魚の美味しさを爽やかに引き立ててくれます。
●「ピガート」(ラモイーノ) 熟した黄りんごとハーブが香る白を、バジルたっぷりのパスタとともに。
\トレンド番長Kazuのおすすめ/ 青りんごやハーブのニュアンスに心地よいほろ苦さをもつ「ピガート」は、ジェノバ風パスタにこれ以上なくマッチします。地中海の温かな景色を思い浮かべながら飲むと最高です。
● 「ロッセーゼ・ディ・ドルチェアックア」(ラモイーノ) 秋の気配を感じる夕暮れに、果実味豊かな淡い赤を少し冷やして。
\イタリアーナAllieのおすすめ/ 少し涼しい風が吹き始める秋には、重すぎない赤がおいしいです。野バラやエキゾチックなスパイスが香る「ロッセーゼ」は、少し低めの温度で味わうのがポイント。
TEXT/ITALIAKARA


