サッカーのあるイタリアの日常

サッカーのあるイタリアの日常

街に響く、試合終了の合図

イタリア語で「サッカー」を意味する「カルチョ(Calcio)」。イタリアで暮らしていると、この言葉を耳にしない日はないと言っても過言ではありません。

イタリアには、誰かに教えられなくても自然と覚えてしまうものがあります。

朝、街角のバールから漂ってくる淹れたてのエスプレッソの香り。

夕食後、街をゆっくり歩くパッセジャータ。

そしてサッカーシーズンになると、試合終了の笛が鳴ってから何時間も街に響き続けるクラクションの音。

サッカー(カルチョ)に興味がなくても、どこかのチームが勝ったことはすぐに分かります。

クラクションが鳴り響き、人々の歓声が聞こえ、夜遅くまでチャント(応援歌)が窓の外から流れ込んできます。

クラブの旗をなびかせた車が街中を走り回り、青と黒、あるいは赤と黒のマフラーを身につけたスクーターがその間を駆け抜けていきます。

試合は1時間前に終わっているはずなのに、街の熱気はまだ冷めません。

サン・シーロ(スタジアム)へ向かう地下鉄

サッカーを観に行く予定がなくても、試合の日はすぐに分かります。

サン・シーロ駅に近づくにつれ、地下鉄にはユニフォーム姿のサポーターが次々と乗り込んできます。

**スーツ姿の人に代わってユニフォーム姿が目立ち始め、**季節に関係なくマフラーを首に巻き、駅をひとつ通過するたびに青と黒、あるいは赤と黒のサポーターが増えていきます。

車内の会話も自然と大きくなり、初対面同士でも試合の予想や選手について語り始めます。

サン・シーロ駅に着く頃には、ほとんど全員が同じホームへ降り立ち、そのままスタジアムへ向かう人の流れに加わっていきます。

たとえまったく別の目的で地下鉄に乗っていたとしても、その高揚感に巻き込まれずにはいられません。

サッカー(カルチョ)は日常の一部

サッカーは、スタジアムの中だけで終わるものではありません。

街の日常に、ごく自然に溶け込んでいきます。

大事な試合の日になると、カフェは不思議なほど静かになります。

レストランではテレビが運び込まれ、一杯のエスプレッソを飲みながら90分間試合を見続ける人も珍しくありません。

ウェイターが突然姿を消すこともあります。

注文を忘れたからではありません。ちょうどコーナーキックだからです。

もちろん、誰も文句は言いません。みんな同じ試合を見ているからです。

そして試合が終わると、「普段はあまりサッカーを観ない」と言っていた人まで、突然名監督になります。

月曜日の朝になれば、カフェも職場も大学の廊下も、小さなスポーツ番組のスタジオのようです。

「あの交代は間違っていた」

「あの判定が試合を壊した」

「自分が監督だったら、もっと上手くやれた」

そんな会話があちこちで繰り広げられます。イタリアには約6,000万人のサッカー代表監督がいる、と言われるのも納得です。

「インテル? それともミラン?」

ミラノで暮らしていると、しばしば聞かれる質問があります。

「インテル? それともミラン?」

何気ない質問に聞こえます。

でも、答えた瞬間から話は変わります。

相手と同じクラブを答えれば、「いい選択だ」と嬉しそうにその理由を語ってくれます。

反対のクラブを選ぼうものなら……。

何年も前の試合を持ち出しながら、なぜあなたの選択が間違っているのかを熱心に説明してくれます。

多くのイタリア人にとって、応援するクラブは自分で選ぶものではありません。

生まれたときから受け継ぐものです。

「どうしてインテル(あるいはミラン)のファンなの?」

そう尋ねると、「父がそうだったから」「祖父の代からずっと」と答える人は少なくありません。

優勝すると、街全体が歓喜に包まれる

今年インテルがスクデットを獲得したとき、ミラノの盛り上がりはクラクションだけでは終わりませんでした。

街全体が祝福ムードに包まれているようでした。

通りはサポーターで埋め尽くされ、交通は一時停止。

サン・シーロ(スタジアム)からドゥオーモ広場まで続く優勝パレードのため、多くの道路が封鎖されました。

旗を振り、像によじ登り、夜遅くまで歌い続ける人々。

サッカーに興味がなくても、その日ばかりは街が放っておいてくれません。

サッカー(カルチョ)は90分では終わらない

近年のイタリア代表は、大きな国際大会をテレビの前で観戦することにも、すっかり慣れてしまったようです。

それでも、不思議なことに、その情熱だけは少しも色褪せていません。

翌週になれば、その熱気はまたカフェへ、地下鉄へ、そして街角へ戻ってきます。

勝敗は変わります。

けれどイタリアでサッカー(カルチョ)は、決して90分だけでは終わらないのです。

TEXT/ITALIAKARA

※この記事は、イタリア文化のスペシャリストの監修がされています。